CPUの種類と歴史
CPUの種類と歴史
- CPU(シーピーユー、英: Central Processing Unit)は、コンピュータなどにおいて中心的な処理装置として働く電子回路のことである。中央処理装置(ちゅうおうしょりそうち)や中央演算処理装置(ちゅうおうえんざんしょりそうち)などと訳される。 CPUはプログラムによって様々な数値計算や情報処理、機器制御などを行う。CPUは通常はハードウェアであるプロセッサにより実現され、現代のプロセッサの大多数はマイクロプロセッサである。 「CPU」と「プロセッサ」と「マイクロプロセッサ」は、ほぼ同義語として使われる場合も多い。本来は「プロセッサ」は処理装置の総称、「CPU」はコンピュータ上で中心的なプロセッサ、「マイクロプロセッサ」はマイクロチップに実装されたプロセッサである。
- CPUの構造は1949年に世界最初のストアードプログラム方式コンピュータであるEDSACが発表された時点で、現在のCPUの原型が完成している。 CPUの発達は、プロセス技術の微細化による高速化、パイプライン並列化(命令パイプライン、演算パイプライン)、命令並列化(スーパースカラ、VLIW)、データ並列化(SIMD演算)、CPUコア並列化、スレッド並列化(同時マルチスレッディング)などに支えられている。
- CPUの歴史は今日のCPUのような装置が出てくる以前、「ENIAC」のような計算機は実行するタスク毎に物理的に配線を変更していた。このような機械では、プログラムを変更するために物理的に再構成する必要があることから「プログラム固定計算機」と呼ばれることがある(なお、ENIACは後に機能と性能を限定すれば、プログラム内蔵方式でも動作した)。
- CPUは、一般にソフトウェア(プログラム)を実行する装置として定義されるため、CPUと呼べる最初の装置はプログラム内蔵方式のコンピュータからである。プログラム内蔵方式の考え方は、ENIACの設計時にすでに存在していたが、性能を考慮してENIACでは採用されなかった。ENIACが完成する以前の1945年6月30日、数学者のジョン・フォン・ノイマンは、First Draft of a Report on the EDVAC という論文を発表した。この中で、彼はプログラム内蔵方式のコンピュータの設計について概説し、「EDVAC」は1949年8月に完成した(ノイマンは単に発表しただけである。実際の設計者についてはEDVAC参照)。EDVACは様々な命令の集まりを実行するよう設計されていた。命令を組み合わせることで実用的なプログラムを構成し、EDVACで動作させることができたのである。殊にEDVACではプログラムは高速なメモリに格納されており、物理的に配線を変更することで指定されるものではない点が重要である。ノイマン型の設計では、EDVACで動作させるプログラムを変更するにはメモリを書き換えればよかったのである。
- ただし、プログラム内蔵方式という点で何が最初かといえば、EDSAC(1949年)やManchester Mark Iの試作機 Baby (1948年)である。EDVACは先に設計が始まっているが、設計者間のごたごたがあって完成が遅れた。また、アイデアレベルではZuse Z3を後に開発したコンラッド・ツーゼもプログラム内蔵方式を考案していた(1936年に特許申請しているが、アメリカに出願した際にチャールズ・バベッジの解析機関との類似を指摘され、特許は成立していない。ツーゼはこのときまでバベッジの業績を知らなかったと思われる)。データとプログラムを同じ記憶装置に格納するノイマン型と全く異なる方式として、ハーバード・アーキテクチャと呼ばれるものがある。これはEDVAC以前に完成したHarvard Mark Iの方式であり、さん孔テープにプログラムを格納した。ノイマン型とハーバード型の大きな違いは、後者が命令とデータの格納場所と扱いを完全に分離していることであり、前者はどちらも同じ記憶領域に格納していた。最近のCPUは基本的にノイマン型であるが、ハーバード・アーキテクチャも部分的に採用されている(キャッシュメモリなど)。
- デジタル機器としてのCPUは、状態を変更したり表現したりするために、何らかのスイッチを必要とする。電気機械式から電子式への移行期には、リレーや真空管がスイッチとして使われた。これらは、従来の完全な機械式よりも高速にスイッチを切り替えられたが、信頼性が低かった。例えば、直流順序論理回路をリレーで構築するには、チャタリングと呼ばれる問題を補正する追加のハードウェアが必要だった。一方、真空管はチャタリングは起こさないが、機能するには熱が必要であり、動作中にカソードの電子放射能力が減退(エミッション減退)して動作不能になってしまう。真空管が故障したら、故障した部位を特定して交換しなければならない。したがって、初期の電子計算機は高速化は実現したものの、電気機械式計算機よりも信頼性が低かった。EDVACのような真空管計算機は故障と故障の間の平均時間(MTBF = Mean Time Between Failure)は約 8 時間であったが、Harvard Mark Iのようなリレー式計算機はほとんど故障しなかった。しかし、信頼性よりも性能が重視され、真空管式計算機が主流となっていった。当時の同期式CPUの動作周波数は現在のCPUに比較すると非常に遅く、100kHz〜4MHz程度であった。これは、当時のスイッチ部品(真空管)の切り替えに要する時間によって限定されていたのである。
- CPUの設計と複雑さの進化は、さらに小型で信頼性の高い電子部品を使うことで達成された。その最初の進化はトランジスタの発明である。これによって、1950年代から1960年代には、かさばって信頼性の低い真空管やリレーは使われなくなり、トランジスタ製CPUが主流となった。この改善によってさらに複雑で信頼性のあるCPUを一枚から数枚のプリント基板で構成できるようになったのである。
- 1964年、IBMが発表したSystem/360アーキテクチャは、いろいろな性能と大きさのコンピュータとして実装され、それらのシリーズではプログラムを変更することなく動作させることができた。当時、たとえ同じメーカーであっても、サイズの違うコンピュータは互換性がないのが普通だったのである。この改善を成し遂げるため、IBMはマイクロプログラム方式を採用した。これは現在のCPUでも広く使われている手法である。System/360は大変な成功を収め、その後数十年間メインフレーム市場を支配し続け、現在のz/Architectureに至っている。
- 同じ1964年、DECも、「PDP-8」という後世に影響を与えたミニコンピュータを、科学分野や研究分野に向けてリリースした。DECは、後にさらに広く使われることとなる「PDP-11シリーズ」を発表したが、このシリーズは、後に集積回路(IC)が使えるようになると、それを使ったバージョンも製造されている。トランジスタを使ったCPUでは、新たな設計上の工夫をする余裕が生じ、SIMDやベクトル計算機と呼ばれるものが出現した。そのような初期の実験的設計は、後にクレイ社の製造したスーパーコンピュータのベースとなっている。
- トランジスタを使ったコンピュータは、それ以前のものと比較していくつかの明確な利点があった。信頼性向上と消費電力低下はもちろん、トランジスタによるスイッチは切り替え時間が劇的に短縮されたため、CPUが高速化されたのである。トランジスタによるコンピュータでは動作周波数は数十MHzまで高速化された。
- CPUの実装と設計を大きく変えた最近の技術革新は、1970年代中頃に登場したマイクロプロセッサである。世界初のマイクロプロセッサは1970年(Intel 4004)であり、広く使われるようになったのは1974年(Intel 8080)であるが、このクラス(8ビット)のCPU実装方法は完全にマイクロプロセッサだけになってしまった。それ以前のCPUが一枚から数枚の基板で実装されていたのに対して、マイクロプロセッサではそれを小さな集積回路(IC)にまとめ、多くの場合シングルチップでCPUを実現している。トランジスタのサイズが小さくなることによってゲートの静電容量が減るので、スイッチとしてもさらに高速化した。そのため、同期式マイクロプロセッサの動作周波数は数十MHzから数GHzが可能となった。また、IC上のトランジスタは技術の向上にしたがって小さくなっていき、CPUを構成するトランジスタ数は飛躍的に多くなって機能も複雑化していった。この傾向はムーアの法則と呼ばれ、CPU(IC)の高速化・集積化を正確にモデル化していた。
- 複雑さ、大きさ、構造、一般的な形状はこの60年間で劇的に変化したが、CPUの基本的な機能とデザインはほとんど変化していない。今日のCPUのほとんどはフォン・ノイマンが描いたプログラム内蔵方式を採用している。
| ■ 1970〜 | ■ 1980〜 | ■ 1990〜 |
| ■ 2000〜 | ■ 2005〜 | ■ 2010〜 |
| ■ 4bit | ■ 8bit | ■ 16bit |
| ■ 32bit | ■ 64bit | ■ AMD |
| ■ ARM | ■ Cell | ■ Cyrix |
| ■ DEC | ■ IBM | ■ MIPS |
| ■ IDT | ■ アップルコンピュータ | ■ インテル |
| ■ エイコーン・コンピュータ | ■ ザイログ | ■ サン・マイクロシステムズ |
| ■ ソニー・コンピュータエンターテイメント | ■ テキサス・インスツルメンツ | ■ ナショナル・セミコンダクタ |
| ■ ヒューレット・パッカード | ■ モステクノロジー | ■ モトローラ |
■クレジットカード関連情報
キャッシュディスペンサー(CD)とクレジットヒストリー
キャッシュディスペンサー(CD)とは現金自動引出機。または現金自動貸出機。クレジットカード 現金化 略称で単にCD(シーディー)あるいはCD機と呼ばれることもある。入金機能をもつものはATMと呼ばれ、CDとは区別される。クレジットヒストリーとはクレジットなどの利用履歴の事をいう。クレジットヒストリーが悪いとは未払いや支払に遅れがある状況で、追加借入などができなくなる。クレジットカード 現金化 クレジットカードやキャッシングの審査においては重要な項目で、ほかの項目がよくてもクレジットヒストリーが悪いと審査に通ることが難しくなる。
クーリングオフと組戻し
訪問販売など店舗以外で商品を購入した場合は、8 日以内は無条件キャンセルができる。これをクーリングオフと呼んでいる。クレジットカード 現金化 ショッピングクレジットなどを利用した場合もクーリングオフが可能だ。具体的には所定の内容を記載したはがきを送付するだけでクーリングオフが成立する。組戻しとは相手先や振込み金額を間違って振り込んだ場合、その銀行振込を取り消す手続きである。クレジットカード 現金化 振込み人が振り込み手続きをした銀行を通じて依頼し、相手の口座がある銀行が入金を取り消すこと。
実質年率とアドオン方式
実質年率は1 年を単位とした金利や手数料率のことで、法律で表示が義務付けられている。ショッピング枠 現金化 実質年率の表示が義務付けられている理由は、アドオン金利表示と混同しないように統一した金利や手数料表示をして、性格に金利比較ができるようにするためである。アドオン金利では12 回払いの手数料率は実質年率に比べて低くなるため、このような規制がされている。クレジットカード 現金化 アドオン方式とは金利や手数料の計算方式の一種。電卓で計算ができるため主にショッピングクレジットなどの手数料計算に使用される。アドオン方式の年率は実質年率と比べ低く表示されるため注意が必要。
チャージバック
クレジットカードが海外で不正利用された場合に行う処理がチャージバックだ。日本のクレジットカードで行われるキャンセル処理に近いが、加盟店支払を拒むことができる強制的な処理となる。クレジットカード 現金化 海外のクレジットカード利用では不正利用を防止する義務は加盟店にある。そのため不正利用でないことを証明するのも加盟店の義務となり、証明できない場合はクレジットカード会社から支払を拒否される。クレジットカード会社では不正利用と思われる場合は加盟店に売上伝票の写しを要求することができる。伝票にサインがなかったり、サインがクレジットカードのものと違った場合は支払が拒否される、また一定期間内にカード伝票が送られてこなかった場合も同様にチャージバックされる。クレジットカード 現金化 ただし、チャージバックできる期間にも限度があるので、不正利用された場合は早めにクレジットカード会社に連絡することが必要だ。
更新日 2010507月30日
生カード
生カードはクレジットカード番号や有効期限、氏名が刻印される前のカードデザインだけが印刷されている状態のカードのこと。クレジットカードが業務委託している印刷会社にはあらかじめ大量の生カードが保管されている。審査を通過して承認されるとカード番号が割り当てられ、印刷会社にデータが送付されて生カードへのエンボス加工後に発送される流れだ。この方法では生カードの保管や管理が重要となる。発行枚数の予測が狂うと大量の生カードが無駄になる可能性があるのだ。生カードの管理も不要なためエンボスレスカードが普及するようになればこういったシステムの導入によりクレジットカードの発行までの時間が短縮されるだろう。
■知ってて損はしない雑学知識
十勝岳温泉
十勝岳温泉(とかちだけおんせん)は、北海道上川支庁管内空知郡上富良野町にある温泉。標高1,290mの高所、温泉名の由来ともなっている十勝岳の中腹に温泉地が存在する。北海道で最高所の温泉地でもある。登山基地として利用する人も多い。温泉地へのアクセス道路の終点には、登山客用の駐車場が備えられており、またここから登山道が伸びている。当地に宿泊施設が誕生したのは1963年(昭和38年)である。当地にある旅館「凌雲閣」が山小屋として営業を始めた。温泉地へのアクセスは登山道しか存在しなかったが、1966年(昭和41年)に道路が開通してアクセスが向上した。
南北朝時代
南北朝時代(なんぼくちょうじだい)とは、一般的には鎌倉時代の後で、元弘の変や建武の新政も南北朝時代の事件として含まれる。正確には、1336年(延元元年/建武3年)に足利尊氏による光明天皇の践祚、後醍醐天皇の吉野転居により天皇王朝が分裂してから、1392年(元中9年/明徳3年)に両王朝が合一するまでの時代を指し、室町時代の初期に当たる。鎌倉時代末にあたる寛元4年(1246年)、後嵯峨天皇の退位後に天皇家は皇位継承を巡って大覚寺統と持明院統に分裂してしまった。そこで鎌倉幕府の仲介によって、大覚寺統と持明院統が交互に皇位につく事(両統迭立)が取り決められていた。
回転(スキー)
回転(かいてん)は、スキー競技またはスノーボード競技のアルペン種目の1つである。スラローム(英語: slalom)と呼ばれたり、SLと略される。スタート地点とフィニッシュ地点との標高差は男子が180mから220m、女子が130mから180m。このコースに2本一組になった赤と青の旗門が交互に立ち、対になった同じ色の旗門の間を滑り、タイムを競う。2回目も同じゲレンデを使ってよいが、旗門設定は変えなければならない。2回滑ってその合計時間で順位が決定する。
白川郷(世界遺産)
白川郷(しらかわごう)は、岐阜県内の庄川流域の呼称である。大野郡白川村と旧荘川村(現高山市)に相当し、前者を「下白川郷」、後者を「上白川郷」と呼ぶ。今日では白川村のみを指すことが多い。白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られる。独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区に選定、1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
なまはげ
冬に囲炉裏(いろり)にあたっていると手足に「ナモミ」「アマ」と呼ばれる低温火傷ができることがある。”それを剥いで”怠け者を懲らしめ、災いをはらい祝福を与えるという意味での「ナモミ剥ぎ」から「なまはげ」「アマハゲ」「アマメハギ」「ナモミハギ」などと呼ばれるようになった。一般的に、赤面がジジナマハゲ、青面がババナマハゲとされている(違う地域もある)。鬼の面、ケラミノ、ハバキを身に付け、大きな出刃包丁(あるいは鉈)を持ったなまはげが家々を訪れ、「泣ぐコはいねがー」という荒々しい声を発しながら怠け者、子供や初嫁を探して暴れる。主人はなまはげをなだめながら丁重にもてなす。
更新日 2010507月30日